25 8月 2014

Stage Communication fac.


人を観察しながらシャッターを押す瞬間、
大袈裟でも何でもなく時間が止まったみたいで つられてそっと息を止める。

著名人やセレブリティを撮ることがもしかしたら写真家としてのステータスなのだとしたら、
その片鱗すら齧っていない自分はすっぽん同然、写真家と名乗ることすら自重すべき。
というのが理詰めの正解。よしんばわたしは写真家だ。

前に聞いたことがある言い回しを写真家に置き換えると下記の感じ。
『撮った写真を「好き」と言ってくれる人がいて、撮ってと言ってくれる人がいれば写真家』
全自動的にどうやらわたしは写真家ということになる。だから写真家でいていいんだ。

撮りたいんなら、撮りまくればいい。ここにおいて、躊躇うことがたぶん罪。


Stage Communication fac.と称されたワークショップの撮影は、
初めてだからほんの少し緊張した。被写体の緊張は、
まだちょっと影響される、悪い癖。

演劇を続けている人たちを見ると、一通り心配した後で、きまって応援してしまう。
むかしからの付き合いという綺麗で月並みな言葉で包むでもなく、
それって単純に、多種性を目の当たりにしておきたい自分の弱さなのかもしれない。



芸の道に進んだ違う時間軸の自分を重ね合わせて、妄想上の自分への生類憐れむの巻。
だったら面白いし、高みで見物する自分は本当にいい御身分。

言い聞かすようだけれど、
いま立つ自分の道が正しいとか間違ってるとか、どっちでもいい。
多種性を多様性を認めつづけていたいだけ。
宝部郁雄からしてみれば間違っているかもしれないし、
木田百子からしてみれば正しいかもしれない。
わたしが宝部郁雄なら軌道修正する必要があるし、
わたしが木田百子なら寧ろそのまま突っ走れ。それだけのことをうじうじ悩んでもらちが明かん。



演劇に関して言うとすれば、収める写真の中には必ず眼差しが瞬間冷凍されていて、
あのときの息を止めた瞬間を思い出して、救われた気持ちになる。
こんな風に人の眼を真剣に収める機会に、巡り逢う機会は日常まずないもん。

全女子が黄色い声をあげるような光り輝く写真を肯定しながら、
でも惹かれるのはVOGUE時代の写真ではなく、リゼット・モデルに師事したあとの写真。
フリークス独特の捻じれた写真の持つ引力は、計算されたモードの美しさとは次元が違う。
生々しい写真には、嘘も見栄もない「そのまま」が冷凍保存されているから麻薬みたいに残酷なのです。


わたし、人間の人間らしい写真を収めることを避けたとき、立ってる場所を初めて否定しよう。


こんな風に回りくどい言い回しをしているその原因は、まちがえなく由紀夫(三島)のせい。
読んでる本と観ている映画で自分の性格がどんどん変わっていくからたちが悪い。愉しい。
学生結婚の行方はまだ知れず。わたしは作者から結末を聞きたいな。

ちなみに、まだ責任はとってくれそうにないです。


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Text / Pics by Midori Tokioka